桃太郎と吉備津彦
自転車で吉備路を訪れました。今日のテーマは「桃太郎と吉備津彦(きびつひこ)」です。
8時出発。30分で「笹ヶ瀬川」に到着。以前、ママチャリで訪れたときは1時間ほどかかったので、さすがは電動自転車の威力です。この笹ヶ瀬川は桃太郎の入った桃がドンブラコ・・と流れてきたことになっています。
さて、桃太郎は「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」がモデルと言われています。吉備津彦は第7代「孝霊天皇」の子で、第10代「崇神天皇」の御代に四道将軍の一人として吉備方面の制圧に派遣されたことになっています。このため孝霊天皇の宮が営まれた奈良県「田原本町黒田」が「桃太郎伝説発祥の地」と言うことになっているのですが、偶然、私はこの一月に岡山に赴任する直前そこを訪れました。
(写真はそのときの物です)
次は「吉備津彦神社」に参拝。吉備の国は大化改新後「備前」「備中」「備後」「美作」に分かれました。吉備の一宮といえば「吉備津神社(現在の備中一宮)」なのですが、いまは備前、備中、備後それぞれに吉備津彦を祀ってあり、吉備津彦神社は「備前一宮」となっているのです。
ここで「岡山県産業労働部観光物産課」のHPから吉備津彦(桃太郎)の伝説について参照します。
「桃から生まれた桃太郎が鬼を退治する物語。誰もが知っている昔話のもとになったといわれる伝説が総社市を中心とした吉備路一帯で今も語り継がれています。その名も温羅(うら)伝説。「その昔、異国からやってきた温羅という名の王子が吉備国で悪事をはたらき、人々に恐れられていた。そこで温羅を退治するよう大和朝廷から送り込まれたのが武勇に優れた吉備津彦命。吉備路を舞台に双方が熱い戦いを繰り広げる」というストーリー。つまり温羅が鬼、吉備津彦命が桃太郎です。・・・・さて伝説では鬼ノ城から岩を投げる温羅に対抗し、吉備津彦命は現在の吉備津神社がある場所から矢を放ちます。その際、境内にある矢置岩に矢を置いたと伝えられています。 吉備津彦命を祀るこの神社、実はクライマックスの舞台なのです。合戦に負け、退治された温羅の首はこの境内に埋められました。場所は本殿から長い回廊を渡ったところにある御釜殿(おかまでん)に据えられた大釜の下。葬られた後も13年間、首は唸り続けていたといいます。・・・・・
温羅と吉備津彦命がそれぞれ陣取った鬼ノ城と吉備津神社。このほかにも吉備路には伝説ゆかりの場所が多数あります。例えば鬼ノ城と吉備津神社のちょうど中間に位置する矢喰宮(やぐいのみや)。双方の力が互角だったため、温羅が投げた岩と吉備津彦命の矢がぶつかって落ちた場所といわれています。結局、吉備津彦命が一度に2本の矢を放ったのが勝利の決め手となるのですが、その際、射抜かれた温羅の左目から流れた血で真っ赤に染まったといわれているのが血吸川(ちすいがわ)。慌てた温羅が雉に姿を変えて山中に隠れると、吉備津彦命は鷹になって追跡。最後は鯉になって血吸川に逃げ込んだ温羅を鵜になった吉備津彦命が捕まえて決着がつくのですが、その決着の地として伝わる場所に鯉喰神社があります。 」
次は吉備津彦神社から西に5km程にある「鯉喰神社(こいくいじんじゃ)」です。温羅が鯉になって逃げ込んだ血吸川のことである「足守川(あしもりがわ)」を西に渡った小集落の中にその神社はあります。
鯉喰神社から足守川西岸を5分程南下し、西の丘に入り込んだ所に「楯築遺跡(たてつきいせき)」があります。
この遺跡は、径約50mの主墳を中に二つの突出部を備えた弥生時代後期の墳丘墓で、墳丘部には中央の亀石と呼ばれている巨石を取り囲むように、大きな板状の石が円形に配列しています。
また、この丘全体が「王墓の丘史跡公園」として整備されており、いまは墳丘の形をとどめていませんが、6世紀後半の物と思われる横穴式石室を持った、多くの古墳が存在しています。
なお、この楯築遺跡も吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石楯を築き、防戦準備をした所と伝わっています。
そこから東に10分程で「吉備津神社」に到着します。この神社はこれで3度目の訪問になりますが、ようやく改修が終わった国宝本殿の姿がまぶしいくらいでした。ここは後日我が家の奥様とお祓いに訪れる予定にしているのです。
さて、最後は吉備津彦の墓「中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)」を参拝して終りです。
墳長約120 m、後円部径約80m、後円部高約12m、前方部長40mの古墳時代前期の前方後円墳ですが、古墳は吉備津彦・吉備津両神社がある標高170mほどの「吉備中山」山上にあり、中々の難所です。約1kmのきつい舗装道路を自転車で上るのですが、電動アシストの威力は強力で、なんとか陵の前まで到着。事前に調べた資料では200mの下り坂となっていたのですが、なんと陵は逆に急な直線の登りの石段です。私は以前訪れた奈良県の室生寺奥の院の急坂を思い出しました。

ユックリユックリと息をはずませて、ようやく登りきりました。陵は岡山県の古墳では珍しい宮内庁管理になっており、よく見る造りで、内部に侵入することは出来ません。
今回の目的「桃太郎伝説」は一応これで完結しましたが、陵のすぐ近くに「古代吉備文化財センター」があり、これを見学。入館は無料でした。
「黒住教本部」前から、以前訪れた「尾上車山古墳」前を通り、下山は一気の下りで爽快です。
笹ヶ瀬川の堤防で用意してきた弁当を食べ、13時頃帰宅。吉備津彦の墓の登りで少しくたびれました。この記事の詳細は後日「古代への道」でレポートします。
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コメント
うちの田舎の方の矢掛はどちらかが矢を木にかけて休んだところで、鬼が嶽温泉では鬼が傷を癒したと言われています。あちこちにありますよね、そんな話。
投稿: bisei | 2008年9月 6日 (土) 22時33分
bisei 様
今回の桃太郎話は、多分続編が必要になりそうですね。肝心の鬼ノ城にも行ってませんので。それにしても私にとって岡山という所は良い所です。
投稿: たこさん | 2008年9月 7日 (日) 08時16分